吉田沙保里選手が敗北した事で見える世界 その1
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今回は長文です。
すでに色々な方々が言及していることに私なりの考察を含めているので、不快な思いをさせてしまったらゴメンなさい。
準決勝までTVで観て、朝起きてニュースを見て驚きが隠せませんでした。
『吉田沙保里、銀メダル』
勝負の世界なので実力だけが物をいう世界だとは思ってはいない。
しかし、決勝の相手が想定していた『ソフィア・マットソン選手』ではなかった事や吉田選手を下した『ヘレン・マルーリス選手』は過去にフォールドで2度勝利している選手である事を考えていたので、私自身としては負けることはないだろうと思っていました。
ところが朝起きてニュースを見た時に『まさか』という思いと、インタビューを受けている時の発言を聞いて
「銀メダルで謝る必要はないだろう…なぜ謝らないといけないのだろう…次を考えてゆっくりと体を休めてくださいな。」
と純粋に感じていました。
その後、TVで試合の状況やネットでの反応などに目を通して感じた事がありました。
全体を通して見て、ほとんどの方が感じているのは『我々の期待が重圧になってしまった。申し訳ない。』という気持ち。
私たちは何に期待をしていたのか。
そもそも吉田選手の愛称(?)である『霊長類最強の女』とはどこからついたのか。
Wikipediaを読めばすぐわかる事ではあるのですが、
2012年9月の世界選手権において、男女通じて史上最多となる世界選手権10連覇及び世界大会(五輪+世界選手権)13大会連続優勝を達成し、カレリンの記録を更新した。この頃からカレリンの愛称「霊長類最強の男」にちなんで「霊長類最強の女」と国内のマスコミ等で呼称されるようになる
とある。マスコミが最初の様だが、この愛称に私たちは馬鹿にしたりからかう様なふざけた気持ちで呼んでいただろうか。
ネットが中心になってしまうがそんな気持ちで呼んでいた人はいない、もしくはいてもごく少数だったのだと思う。なぜならその愛称に相応しいだけの実力を世間にしらしめていたからだ。
それに伴う吉田選手のこれまでの戦歴。
危なげなく決勝まで進んだ吉田選手の安定性。
前日行われた女子レスリングの3階級金メダルの快挙。
他にもあるがこういった様々な要素から私たち観客は『吉田選手は金メダル。』という気持ちを持ってしまっていたのではないか。
これらの思いは大半の方が持っていたからこそ、インタビューを受けて『我々の期待が重圧になってしまった。申し訳ない。』という思いがあふれたのではないか。
と思っていたのですが、本当にそれだけなのか改めて考えてみた。
吉田沙保里選手に持った期待の強さでだけはない
引退を考えてしまっていないだろうか
まず、金メダルに期待を寄せられる選手・過去戦績でもっとも金メダルに近いと感じさせる選手が銀メダルだった場合に感じる『あぁ今回は残念。次回頑張れ』と思うことが大半ではないでしょうか。
後は偏見も含めてですがちょっとスポーツを齧っただけで知ったつもりになっただけだったり、お年寄り団塊世代や団塊Jr世代に多い”自分が偉いと思っている人”が口にする「あの時こうやっておけばポイント取れたのに調子にのってダメな選手だ!」とやったこともないのに上から目線でふざけたことを抜かす連中(失礼)位でしょう。
これは若手にある『次へ』の期待から持つものであること。次があるからこそ、まだ頑張って悔しさをバネに成長してほしいという気持ちからくるのではないだろうか。
しかし吉田選手に感じたことは明らかに違う。
『よく頑張った、お疲れ様』や『銀メダルでも充分以上だ』・『ゆっくり休んでください』など次を意識した言葉ではない。次を考えない理由はなにか。
吉田選手自身も年齢による衰えを感じていることを以前TVのインタビューで漏らしていた。体を酷使するスポーツで「33歳」という年齢は決して若くない。それどころか引退を考え始める年齢でもある。サッカーの澤選手や水泳の北島選手などもそうだった様に。
だがそれだけだろうか。感想を述べている方は少なからず試合終了後のインタビューをみているだろう。吉田選手の言葉を覚えているだろうか。
「最後の最後で銀メダルで終わってしまった。」
この言葉に感じることはないだろうか。『最後の最後で』という言葉。
吉田選手はまだ一度も引退に関して言及していない。試合後のニュース番組でも、
「東京五輪は出たいが、今後の事は相談して考える。」
と答えている。
意外と人はちょっとした言葉でも無意識下に集積していたりする。この『最後の最後で』という言葉を年齢も加味してしまい勝手に引退に結び付けていないだろうか。
前述した通り、金メダルありきで期待しており敗北した事を受けて『え…っ』と一旦思考が停止してしまう。その直後にインタビューのこの言葉である。
引退と考えてしまう様な発言を受け、『次頑張れ』という思考の前に『ここで終わりなんだ』と無意識下で勘違いをしてしまい『よく頑張った』などの感情が浮かびあがってしまったのではないのだろうか。
人間性からくるもの
次に、吉田選手の人間性に言及してみよう。
私は『吉田沙保里選手が嫌いだ』という人物に会った事がない。辛辣なネットの世界でもそう言う書き込みを見ることは少ない。少ないだけで勿論無い訳ではない。
なぜ大多数の人が吉田選手に嫌悪感を持っていないのだろうか。
その理由の一つに以下のCMをあげてみる。
30s アルソック CM 吉田沙保里 「安心戦隊ALSOK 2011 春」篇
30s アルソック CM 吉田沙保里 「安心戦隊ALSOK 2011 秋」篇
アルソック CM 吉田沙保里 伊調馨 「ALSOK体操 2012 春」篇
このCMには吉田選手と伊調馨選手が出演している。
自社(放映当時)CMの為ギャラは発生していないという事らしい。
それなのにこの扱いである。放映当時は結構反響があり、『金メダリストを相手になんて扱いだ!』などクレームも多数あった模様。
これに関してはサッカーのクリスティアーノ・ロナウド選手やメッシ選手の時も同様の意見が上がっている。仕事を選べと。
しかし吉田選手伊調選手は会社という中で仕事の一環としてやるしかない。
実際気持ち的には良い物ではないだろう。女性だし目からビームなんて発射してるし。挙句に進撃の巨人なみに巨大化してるし。
だが、以前TVか何かでMCに嫌だったのか聞かれたが
「こういうの結構好きでやってます。」
と発言していてスゲーなって感じたのを覚えている。
それ以外でも様々なイベントに出演しているが結構色物が多い。
それも楽しんでいる雰囲気が全体から溢れている。
更にメダリストとしての険しく鬼神の如く戦う姿を知っているだけにそのギャップや笑顔を絶やさない姿に私たちの心は親近感を覚えるのではないか。
いくつかの要素が合わり出た「過去形での」思いではないのか
こうして思い浮かぶ要素を上げていくときっとまだまだあるとは思う。
だが、たったこれだけの事で吉田選手に思う気持ちは労いに変わる。
決めては試合終了後の号泣のシーンを目の当たりにした事で間違いないだろう。
幾つか意見は分かれていたがおおむね『王者が泣く姿は良くない』か『見ていて辛くなった』である。意見としては全く正反対だが、最後に到達する気持ちは変わらない。
試合中の高速タックルのキレがなく、その必殺技を全く出せなかった事をすでに私たちは『年齢』『体力の限界』を目の当たりにしている。
イベントなどで無邪気に笑い、試合では真剣に取り組み、勝利で泣く姿は見た事があっても、敗北で恥も外聞もなく泣き崩れる姿。
批判的な意見を持つ方でも同情的な意見を持つ方でも、泣き崩れる姿に感じる感情はなんだろうか。
それこそが16年間守り続けた王者への素直な気持ちだったのではないだろうか。
正直、これだけの成績を残す選手は今後中々出てこないのではないだろうか。
まだ引退を宣言していない今、世界選手権連勝はまだ止まっていない。
年齢など難しいのはわかっているが、吉田選手が『引退したい』と考えが固まるまでは応援し続けたいと思う。